この言葉は、『仏説無量寿経』の中に出てくる、お経の一文であります。
『独生 独死 独去 独来(どくしょう どくし どっきょ どくらい)』とは
「人間は、生まれてくるのも一人であるし、死んでいくのも一人である。この世に来たのも一人であり、この世を去っていくのも一人である」
つまり、「人間はみな生まれてから死ぬまで連れのない一人旅だ」と説かれています。
こう聞くと「自分には親も友人もいるし、恋人もいる。決して一人ぼっちじゃない」と反論される方もいると思いますが、
ここで「連れがいない一人旅」と言われているのは、「心の連れがいない」ということです。
私たちは兄弟や恋人や家族などの「肉体の連れ」はありますが、「心の連れがいない」のです。つまり、「心の連れがいない」というのは「お互い心の底から分かり合える人がいない」ということです。
この人なら何でも言えると思える人がいたとしても、あなたが心の底から思っていることをすべてさらけ出して話すことは殆どの人ができないと思います。
例えば、同じ屋根の下に住んでいる夫婦でも、結婚した当初は幸せいっぱいでも、男性と女性では考え方が全く違うものなので、時が経てば、夫は夫で、「妻なんかおれの気持ちを分かってくれない」
妻は妻で、「夫は私の気持ちなんか分かってくれない」と、お互いに悩むことも多くなり、すれ違いから別居や離婚などに繋がることもあるかと思います。
こんなとき、「何でいつも私のことを分かってくれないの?」と相手に怒りをぶつけるのではなく。
心を反転して「自分は相手の悩みをわかってあげられているか?」や「自分のことばかりではなく、まずは相手の話を聞いてあげようと思えているか」など相手のことを先に思いやる心を持てたときに初めて、「独り(ひとり)」という言葉に含まれている「みんな」の存在に気付くことができ、「みんな」という言葉には、「独り(ひとり)」がいっぱい詰まっていることが理解できるのだと思います。
『正論』という文字の「正」は五画になります。これは、自分が絶対に正しいと思っている意見とは別に正しい意見が4つ存在するということです。そのような考え方ができれば、他人と比べて苦しくなることも少なくなるのではないでしょうか。
「独生独死独去独来」、私たちはひとりで生まれ、ひとりで死んでゆきます。
例え、多くの人々に見守られていたとしても、その生死には、ひとりで立ち向かわなければ成りません。本来、孤独な私だからこそ、私達は、繋がりやフォローがなくては生きてはいけない存在なのです。
このような孤独な人生の真の姿に気づいた時、私たちに常に寄り添っていて下さる仏さまの大きな慈悲が喜びとなって、今を大切にして、自分の命が終わった時には極楽に往生できるという「今の自分が存在するのは、周りの人がいるというお陰様」の思いやりの心を持つことで、人との繋がりをより一層大切にできるのではないかと思います。
今日も一日、今しかなあなたの人生を楽しみましょう。
コメント