こんにちは、満福寺の住職と保育園の園長をしています。しゅうちゃんです。
今回の明日が大好きになれる言葉は
『自灯明・法灯明』(じとうみょう ほうとうみょう)になります。
この言葉はお釈迦様が亡くなられる直前にお弟子さんから「お釈迦様が亡くなられた後、私たちは何を頼りにして生きていけばよいのですか?」という問いに答えられたお釈迦様最後の言葉になります。
仏教では、お釈迦様が亡くなれた日の2月15日のことを「涅槃会」と言います。
涅槃会の歴史
お釈迦様は紀元前383年、80歳のときに亡くなったといわれています。お釈迦様は名前をゴータマ・シッダールタといい、ネパール南部のルンビニーで生まれた北インドの王族の一人でした。ところがその身分を捨てて29歳のときに出家をし、修行者として悟りをひらくため6年間あらゆる苦行を続けました。
それでもまだ悟りがひらけないため、35歳の頃には苦行をやめて、菩提樹のもとでの禅行を行い、そこでついに悟りをひらいたとされています。
悟りをひらいたお釈迦様は、それから45年もの間、主にインドのガンジス川中流地域で人々に仏教の教えを説きながら旅を続け、弟子と信者を増やしていきます。
そして80歳を迎えた頃には自分の最期が近いことを知り、3カ月後の入滅を弟子たちに告げて、終焉の地クシナガラで涅槃を迎えました。涅槃のときには、集まった弟子たちに「自灯明・法灯明」との言葉を残し、80年の生涯を終えたとされています。
涅槃図
涅槃会は、普段は見ることができない涅槃図を見られるチャンスでもあります。
涅槃図は、お釈迦様の涅槃のときを描いた図のことです。お釈迦様が頭を北に向け、心臓のある左側を上にし、西を向いて横たわっている様子が描かれています。お釈迦様のその寝姿から、亡くなったときに故人を「北枕」で寝かせることになったといわれ、西には、「西方浄土」があるのだともいわれています。
涅槃図では、お釈迦様の周りに多くの弟子や動物たちが集まって悲しみにくれています。その外側にはインドのさまざまな宗教の神も集まり、お釈迦様の亡くなったことを悲しみます。お釈迦様の周囲に生えている沙羅双樹の木は白い花を咲かせて悲しい気持ちを表すなど、あらゆる表現によって入滅の悲しみが伝わってきます。
京都市の泉桶寺が所蔵している涅槃図は、縦約16m、横約8mもある、日本で一番大きい涅槃図になります。寺院の壁の高さよりも長い涅槃図のため、コの字に曲げたまま一般公開することで有名です。
また、東福寺の涅槃図も広く知られています。縦約12m、横約6mの大型涅槃図で、繊細かつ鮮やかな色彩が美しいと、その芸術性の高さから拝観する人々の人気を集めています。
ちなみに、こども園の涅槃会や涅槃会法要で使用する、満福寺にある涅槃図は「高野山 金剛峯寺」に所蔵されています。国宝『仏涅槃図』のレプリカになっています。
この金剛峯寺に伝わる「仏涅槃図」は、応徳3年(1086年)の銘があり、現存する日本最古の作例であり、平安時代らしく釈迦が比較的大きく書かれ、それを取り巻く菩薩や弟子たちがそれぞれに悲しんでいる。
手前の向かって右下には、のたうって悲しむ獅子が描かれており、平安時代の仏画らしく、白、黒、赤、青、黄色などの鮮やかな色彩が施されている。描かれている人物の表情は悲しむ様子を表現しながらも穏やかで上品に描かれている涅槃図になっています。
涅槃とは?
「涅槃(ねはん)」とは昔のインドの言葉で「ニルバーナ」といって「ローソクの火を吹き消す」という意味があり、燃え盛る欲望や怒り・苦しみの原因である「煩悩(ぼんのう)」がない安穏の世界のことを意味します。
つまり、仏教ではこの煩悩の火を吹き消すことで、涅槃という苦しみのない安らかな世界に到達できるのだと教えられています。
「涅槃」というのは、分かりやすく例えると、借金が無くなった状態みたいなものです。
(借金がないと)借金取りに日々追われて苦しむということもなく、安心して生活ができる。だから(涅槃の境地に達した私は)幸せな状態になります。そして、涅槃の境地に達すると、人生の様々な苦しみから解放されるのです。
では、どのようにすれば涅槃の境地に達することができるのか?
その答えが、この「自灯明・法灯明」にあるのです。
「自灯明・法灯明」とは「他人ではなく、自分をよりどころとして、ありのままを受け入れて、あるがままに日々、感謝して生きなさい。また、お経の中にある仏教の教えを大切にしなさい。そうすれば幸せに生きることができますよ」ということになります。
この教えは、お悟りを開かれたお釈迦さまでも命が終わる日が来る、そして、私たちの命にもいつかは必ず終わりがくるということ。
その命の終わりはいつ来るかは誰にも分からない。元気に過ごしていても、突然の病気で医師から余命一年と宣告されるかもしれない、そのような中で、誰かと比べて、自分の思い通りにいかないことに苦しむのではなく、ありのままの現実を受け入れ、目の前の一日一日を大切に生きていく。
「あぁなりたい」と未来のことばかり考えたり、「あの時あのようにすれば良かった」と過去のことばかりにとらわれ苦しむのではなく、「仏の教えを頼りにして、あるがままを受け入れ、今この瞬間を大切に生きることが涅槃の境地に近づく一番の方法なのだ」とお釈迦様は私たちにこのような教えを残されたのだと私は思います。
ありのままの自分を受け入れて、今日一日、生きれていることに感謝して、この一瞬一瞬を楽むことを心掛けることが幸せに生きる第一歩になります。
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