こんにちは、満福寺の住職・夜間保育園の園長をしています。しゅうちゃんです。
今回は、「なぜ、お葬式をするのか?」ということについて、とてもいいお話を聞けたので皆様にもお伝えできればと思いブログに書かせていただきました。
最近では、お葬式をすると費用かかるので、遺族に負担をかけないようにという思いから、『直葬』といってお通夜やお葬式をせずに、亡くなったら病院や自宅から直接、火葬場でお経をあげて火葬するだけの簡略化した式も多くなってきています。
これは、お通夜やお葬式が必要がないと感じている遺族の方が多くなっているのかもしれないです。
「お葬式をすることには意味がある。なぜお葬式をしないといけないのか」というお話をされたのが、99歳でお亡くなりになられた。関西の商業界ではかなり有名な方であり、また女性の憧れとなっていた西畑春枝(にしはたはるえ)さんという方になります。
西畑さん曰く、『お葬式は死について考えるとても大切な時間』なのだそうです。
ある講演会で西畑さんは「最近の年寄りは腰抜けが多い」と言っておられたそうです。
その理由は、
最近のお年寄りは「自分のお葬式はしなくてもいい」と言う人が多い。それは残された家族が少しでも負担を軽くできればといった、家族のことを思って言っているのかもしれないけれど、
「だけど、お葬式は絶対にやらないとアカン」と言っておられます。
それは、お通夜やお葬式をやることで子どもや孫が分からないなりにも「死」というものを直接見ることができるからそうです。
そして、お通夜やお葬式を進めていく中で、喪主になった自分の大切な人や自分の子ども達が分からないなりにも親戚や家族と相談しながら、「あぁするんかな、こうするんかな」、「おじいさんのときはこんな感じやったかな」など、
分からないなりにも一生懸命に進めていく姿を孫や息子などの下の代が見て、「お通夜やお葬式はあぁやってるんだなぁ」と思っていくから
「ややこしくても、大変でも、それを引き受けて年寄りはお葬式をやっていかなあかん」とおっしゃっていたそうです。
そして、そうやってお葬式をやることで次の世代、次の世代へと引き継がれていくものがあり、その中に先祖が繋いでいった命の繋がりがあること、色々な残された人の思いがあることに気付くことができるのだと言っておられました。
人の考えは色々あるので「私の事は海に撒いて」や「樹木葬」にしてという思いもあると思うが、お葬式やお通夜は残された人のためにも、また送られる人のためにもきちんとしないといけないのです。
お葬式をすることが苦労だったとしても、下の代にさせることが親の愛であったり、お葬式に来てくれた人に「あぁ、お父さんは生前にこういう人にお世話になったんだ」ということを感謝する気持ちを知ることができ、今の自分を客観的に見れるようになったり、
「お母さんが私を育てる前はこういうお付き合いをしていたのか」と言うことも、そういう日常の中で学べるものを残していかないといけないのだと思います。
コロナ禍を経験したことで、本当に必要な行事も辞めていく傾向にあるような気がします。
お葬式やお通夜に限らず、辞めていく行事に、実は知らず知らずの中に大事なものが込められているのかもしれません。
私たちは「死」というものを極力見ないようにしていますが、「死」というものがあるからその反対側に「生」というものが存在するのだと私は思います。
お葬式やお通夜などで、誰にでも「死」というものが存在するということを知り、その限りある「生」を大切に使って今を生きていく。その中で、先祖からの命の繋がりを意識することで今以上に幸せに生きていくヒントがあるのだと思います。
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