こんにちは、満福寺住職の秀乘です。
今年も残すところ、あと3か月。あっという間の1年になりそうですね。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、暑い日が続き、なかなか涼しくならないお彼岸も無事に終わり、もう10月になりました。
朝晩は過ごしやすくなり、少しずつではありますが秋が近づいているのかなと感じております。
『独生 独死 独去 独来』
『独生 独死 独去 独来』(どくしょう どくし どっこ どくらい) 『仏説無量寿経』
これは、私たち浄土宗寺院の僧侶が大切にしている浄土三部経である。
「仏説阿弥陀経」「仏説観無量寿経」「仏説無量寿経」の3つの経典の中の『仏説無量寿経』の中に出てくる、お経の文であります。
『独生 独死 独去 独来』とは「人間は、生まれてくるのも一人であるし、死んでいくのも一人である。この世に来たのも一人であり、この世を去っていくのも一人なんですよ」という教えであります。
「人間はみな生まれてから死ぬまで連れのない一人旅だ」と、お釈迦様は説かれています。
こう聞くと「そんなことないよ。自分には親も友人もいるし、恋人もいる。けっして一人ぼっちじゃない」と反論される方もいると思いますが、
ここでお釈迦様が「連れがいない一人旅」と話されているのは、
「心の連れがいない」ということです。
私たちは兄弟や恋人や家族などの「肉体の連れ」はありますが、「心の連れがいない」のだと、お釈迦さまは説かれているのです。
「心の連れがいない」、とは「お互い心の底から分かり合える人がいない」ということです。この人なら何でも言えると思える人がいたとしても、あなたが心の底から思っていることは誰にも言えないと思います。
もし、「私は何でも隠さずに言える」という人がいたとしても、それは言える範囲では言えるが、本当のことをすべてさらけ出して話すことはできないという問題を誰もが抱えて生きているということなのです。
「あの人は分かってくれない問題」
例えば、同じ屋根の下に住んでいる夫婦でも、結婚した当初は幸せいっぱいでも、男性と女性の脳では考え方が全く違うことも多いもので、時が経てば、
夫は夫で、「妻なんかおれの気持ちを分かってくれない」。
妻は妻で、「夫は私の気持ちなんか分かってくれない」と、お互いに悩むことも多くなり、すれ違いから別居や離婚などに繋がることもあるかと思います。
こんなとき、「わかってくれない、わかってくれない」と相手に怒りをぶつけるのではなく。
心を反転して「自分は相手の悩みをわかってあげられているか?」や「自分のことばかりではなく、まずは相手の話を聞いてあげようと思えているか」など相手のことを思いやる心を持てたときに初めて、
「独り(ひとり)」という言葉に含まれている「みんな」の存在に気付くことができ、「みんな」という言葉には、「独り(ひとり)」がいっぱい詰まっていることが理解できるのだと思います。
このような「独り」の意識が、共に生きているということを実感させ、他と共にある「一人の私」を大切に想う心につながるのだと思います。
そして、「一人の私」を大切に想う心を持てたときに、他人に対しても自分以外の「一人の私」を大切にしようと想う気持ちが持つことができ、あなたも周りの縁のある多くの人が幸せになれるのです。
One for All, All for One
9月から、4年ぶりにラグビーワールドカップがフランスで開催されています。
ラグビーに関する有名な言葉に「One for All, All for One」(一人はみんなのために、みんなは一人のために)という言葉があります。
この言葉は、実は間違っていて、本当の意味は、「一人はみんなのために、みんなは一つの目的のために」なのだそうです。
ラグビーというスポーツは、攻撃をする際、サインがでて全員がそのサイン通りの動きをします。サインはトライを取るために出すので、サイン通りに全員がプレーすれば必ずトライが取れます。
しかし、これが現実ではうまくいかないことが多いのです。
なぜかというと、「敵のディフェンスがうまい」や「味方がミスした」などの原因があるからです。
突然、想定していない事態が発生したときに、ボールを持っている人間が役割を果たせなかった事を常に想定し、ミスを仲間が全力でフォローする。この繰り返しを経て、一つの目的(トライ)に繋げるのです。
つまり、目的を達成するには多くのフォローが大切だということです。
まとめ
「独生独死独去独来」・・・私たちは一人で生まれ、一人で死んでゆきます。
例え、多くの人々に見守られていたとしても、その生死には、一人で立ち向かわなければ成りません。
生きるということは、本来孤独なことだと知ることで、私達は、「繋がり」や「フォロー」がなくては生きてはいけない存在なのだと理解できるのです。
このような孤独な人生の真の姿に気づいた時、私たちに常に寄り添っていて下さる仏さまの大きな慈悲が喜びとなって、今を大切にして、自分の命が終わった時には極楽に往生できるという「一人はみんなのために、みんなは一つの目的のために」の思いやりの心を持つことで、人との繋がりをより一層大切にできるのではないかと思います。
西山浄土宗では「南無阿弥陀仏」(ありがとう)という感謝のお念仏を唱えて、仏さまの大きな慈悲に気付けたとき、人は前向きになれ、
『未来のことばかり望むことなく、過去のことばかり後悔することもなく、今この瞬間、一日一日を大切に生きることができるのだ』と教えられています。
人は一人で生まれ、一人で死んでいくが、極楽に生まれる目的の為に、みんなで思いやりのパスをつないでいけば、必ず幸せというゴールに繋がるということを仏さまは私たちに教えてくれているのだと思います。
コメント