『代受苦者(だいじゅくしゃ)』他人の苦しみを自分のこととして感じられる者になる【令和6年1・2月満福寺お寺のお便り】

お寺の話

新しい年が始まりました。

新年早々、能登半島での地震や羽田空港の事故があり、漠然とした不安を感じている方も多いかと思います。

寒さもあり、まだしばらくは厳しい状況が続くと思いますが、被災されている方々が、一日でも早く落ち着いた生活を取り戻せることを心から願わずにはいられません。

代受苦(だいじゅく)という教え

仏教には「代受苦(だいじゅく)」という言葉があります。

これは、誰かが事故や災害などで思いがけない出来事で命を落としたり、あるいは病気を患ったりしたとします。

そうした時に「本当は、私がそのような苦しみを負うはずだったのに、私の代わりにその人が苦しみを引き受けてくれた」

つまり、私に代わってその人が亡くなった、私の代わりにその人が病気になった、私の代わりにその人が被難に見舞われた、というように、「代受苦者(だいじゅくしゃ)となり、自分の身に降りかかろうとしている境遇を”代わり”に引き受けてくれたのだと考えることを言います。

このような考え方は普通なら、「いやいやそんなわけないよ」と思ってしまうかもしれないです。

別に、つらい思いをすることになった人はほとんどの場合、誰かの身代わりになるつもりは毛頭なかったはずです。「勝手にそうなふうに決めつけないで」「あなたのために苦しんでいるわけじゃない」などと言われてしまうかもしれません。

しかし、この「代受苦」という教えは無責任な他者犠牲の考えではなく、積極的に自分を他者へと関わらせようと後押ししてくれる大切な教えなのです。

「あの人は私の代わりに亡くなった」だからこそ「あの人の死を自分のこととして悲しもう」

「あの人は私の身代わりとして病を引き受けてくれた」だからこそ「私は自分のこととしてあの人と一緒に病気に向き合おう」

というような前向きな方向へと考え方を転換させることができる教えが「代受苦」の教えなのです。

金子みすずさんの『こだまでしょうか』

私は金子みすずさんの詩がとても大好きで、こども園の子ども達にも金子みすずさんの詩を読んであげ、お話をすることが多いです。

児童文学作家であり金子みすず記念館館長でもある矢崎節夫さんは東日本大震災で大きな被害を受けた学校の子どもたちに自分たちに何かできることはないかと考えた結果、金子みすずさんの詩を送り続けることをしたそうです。

後日、その学校に話をしに行く機会があり、その時に六年生の子が

「どうして日本中の人が、こうして支援をしてくれたり募金を集めたりしてくれるのでしょうか」という質問を矢崎さんにした際、矢崎さんは先ほどの「代受苦」のお話をしたそうです。

「たまたま自分じゃなかっただけ、自分のこととして日本中の人が自分にできることは何かないかと考えているのだと思います」

そしたら後日、その子が手紙をくれ

「僕はいつか日本のどこかでまた同じようなことがあったら僕はその人たちの代受苦者となって自分のできることをします」

「子どもって本当にすごいと思います。難しいから教えないじゃなくて難しいことでも大人が大切なことを教えた方が子どもたちは、そこから自分ができることは何か、と考えることができる。そして、そのことがいつかその子の心の糧となるのです。」と矢崎さんは言っておられます。

被災された人や病気を患ってしまった人たちの辛さや悲しさを自分のこととして、全く同じことは思えないかもしれないけれども、忘れないようにしようと思って、自分にできることはしたいなって思うことだけでも世の中は変わってくるのだと思います。

金子みすずさんの詩の中に『こだまでしょうか』という詩があります。

『こだまでしょうか』

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと
「ばか」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。

1番人間にとって大事なことはこだましてあげることなんだと私は思います。

つらいって言ったらつらいね。と言う、その後に頑張ろうだったら素直に聞ける。

でも、最初から頑張ろうよ。大丈夫、自分だって大変だったから、そんなの平気だよと言われたら、否定されているように感じてしまい何も始まらないと思います。

だから、まず、「つらいね」や「大変だね」と相手に共感して頷いてあげる行為が人間にとって最も大切な行為になるのだと思います。

あるとき、矢崎さんに小学校3年生の子から電話があったそうです。

みすずさんの「こだまでしょうか」の詩が欲しいということだった。

その子は対岸が火事でお母さんと一緒に屋根裏部屋に避難したことがあってラジオが一つあって、真っ暗で向こうはボーボー燃えていて不安で怖くてすごく寂しい時にふとラジオをつけたら『こだまでしょうか』が流れてきた。

その時、その子は友だちと遊びたいなと思って、それで元気が出たそうです。

つまり1人じゃないよ、自分のこととしてあなたの気持ちを少しでも分かってあげたいというのが、こだまの原点なのです。

たった一遍の詩でも人を元気にすることができる。もしかしたら私の法話やInstagramの投稿を見てくれた誰かを元気にすることができるかもしれないと思うと頑張れることができます。

また、言葉の力はすごいと思います。言葉がどれだけパワーがあるかをを信じて、そして意識して毎日を生活してもらえると世の中が絶対に変わると思います。

まとめ

被災された人や病気を患ってしまった人たちの辛さや悲しさを自分のこととして、全く同じようなことは思えないかもしれないけれども、忘れないようにしようと思ったり、「つらい思いをしているのですね。何か自分にできることはないですか?」と、他者の苦しみを自分のこととして、相手に共感することができる「代受苦者」となれたら、助け合いの輪がどんどん広がっていって、あなたの周りの環境や世の中が幸せに満ち溢れたものに変化していくのだと思います。

私もこの、他者の苦しみを自分のこととして感じられる者になれるような「代受苦」の教えを意識して、自分にできることは何かないのかを考えて日々、行動することを心掛けていきたいと思います。

最後まで記事を読んでいただきありがとうございました。

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