『頼まれごとは試されごと』(満福寺6月お寺のお便り)

お寺の話

こんにちは

満福寺の住職。そして、こども園で保育教諭として15年目の「しゅうじょう」です。

今年は5月に梅雨入りのニュースが流れ、近畿と東海では平年より8日、去年より16日早い、2013年以来の早い梅雨入りとなりました。

梅雨入りの時期は、湿度が高まり徐々に蒸し暑くなっていきます。 5月の清々しい空気と一変して、ジメジメした空気になるのが特徴で、気持ちもジメジメしてしまいがちですが、

6月の満福寺のお便りを読んでもらった方が、少しでも気持ちのジメジメをすっきり吹き飛ばしてもらって、心もカラダも軽くなっていただいて、

一日一日を大切にしてもらい、幸福な毎日を過ごしてもらえるきっかけに繋がれば嬉しいです。

『頼まれごとは 試されごと』

この言葉は、講演家である中村文昭(なかむら ふみあき)さんが、この言葉のおかげで自分の人生が180度変わったという、中村さんの師匠から教わった言葉であります。

中村さんは人から用事を頼まれたときは「相手を喜ばしてあげるチャンスが来たっ!」と思って行動することで自分の人生が幸せで豊かなものになるのだと言っておられます。

人は一人で生きていると「ヒト」ですが、喜ばれるように生きていくと、人と人の「間」で生きる「人間」に変わるのです。

人の間で生きるということは、「自分が必要とされている」ということです。

「人間」の生きる目的は、欲しいものを得たり、何かを成し遂げることではなく、

「人の間で喜ばれる存在になること」「『ありがとう』と言われる存在になること」だと思います。

中村さん曰く、人は生活をしていると一日に200回前後の頼まれごとをされているらしいのです。

例えば、家では「ちょっとゴミ出しをお願いしてもいい?」や「雨が降りそうやし、洗濯物を取り込んどいてほしい」などがあります。

また、会社に行けば「コピーしてきて欲しい」や「○○をお願いしたい」などの頼まれごとを日々されていると思います。

しかし、大多数の人は頼まれごとをされると、

「なんで自分がやらないといけないのか、めんどくさいなぁ」と思ったり、「こっちは毎日の仕事で疲れてる。言いだした自分がしたらいいやん」とぐちぐち愚痴をこぼしてしまいがちになり、気が付けば、「チっ」と心の中では舌打ちをしてしまっているのではないでしょうか。

その結果、イライラしたり、不機嫌になる、そんな態度を見せるから相手も嫌な気持ちになり、相手との関係も悪くなるという悪循環に陥る。

そして、このパターンを生きている人がとても多いのです。

では、幸せになるには、どうすればいいのか?

それは、ひたすらに「頼まれごとは試されごと」を実践すればいいのです。

そもそも、「頼まれごと」というのは、頼む相手があなたなら「やってくれる・できる」と思うからお願いする・頼まれるのです。

基本的に、できないと思っている相手にお願いや頼みごとはしないのです。

例えば、3歳の子どもに「急にお金が必要になって、100万円を貸して欲しい」と言っても無理なのは分かっているから、そのような頼みごとは絶対にしないと思います。

あなたが日々の「頼まれごと」に対して、「チっ」と舌打ちをするのをやめて、その頼まれごと待ってました。今から、あなたを全力で喜ばせますよ」というように、相手の予想の少し上をいくようにすれば、あなたも周りの人も上機嫌になり、必ず幸せになれるのだと中村さんは言っておられます。

仏教でも同じようなことが言えると思います。

満福寺のご本尊様である、阿弥陀様はいつも優しい顔をして私たちを見守ってくれていますが、

実際に阿弥陀様自ら、動いて手を差しのべて病気を治してくれたり、人生を変えてくれることはしてくれないです。

仏の教えとは、『南無阿弥陀仏』であります。

「南無阿弥陀仏」とは簡単に解説すると、「日々の不思議なご縁に感謝して、身近な周りの人やご縁のあった人を大事にして一日、一日を大切にした生活をすれば幸せになれますよ」という教えであります。

つまり、「南無阿弥陀仏」の教えを実践するということは。日々の頼まれごとを実践していく。頼まれごとで人を喜ばせていくことなのだと思います。

「しあわせ」の語源は「為し合わせ」です。

お互いにしてあげることが、「幸せ」の本質なのです。

そして、「してもらうこと」を待つのではなく、まずは自分から先に頼まれごとされたときに、「これは阿弥陀様から試されている、幸せになれるチャンスなんだ」と思って、「頼まれごとは試されごと」を日々、心に刻んで、行動することが幸福になる一番の近道になるのだと思います。

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