『これがいいではなく これでいいのだ』
この言葉を5月の門前掲示板の言葉とさせていただきました。
この「これでいいのだ」という言葉は天才バカボンのパパの台詞です。
この言葉は、ただ馬鹿の一つ覚えで言っている言葉ではありません。実は、「悟りの言葉」でもあるんですよ。
「これでいいのだ」という言葉には「あるがまま」、「ありのまま」を受け入れるという仏教の悟りの境地が表されているのです。
この言葉が最初に言われたシーンを紹介します。
『わしは バカボンのパパなのだ
この世は むずかしいのだ
わしの思うようにはならないのだ
でも わしは大丈夫なのだ
わしはいつでもわしなので 大丈夫なのだ
これでいいのだと言っているから 大丈夫なのだ
あなたも あなたで それでいいのだ
それでいいのだ それでいいのだ
わしはリタイヤしたのだ
全ての心配から リタイヤしたのだ
だからわしは 疲れないのだ
どうだ これでいいのだ
これでいいのだ
やっぱり これでいいのだ』
この言葉には、こんな意味が隠されていたのです。
「これでいいや」という諦めの言葉でも、妥協でもありません。
この世界の理不尽も不自由も認めて、全てありのままを受け入れる。同じ人は一人としておらず、みんな違いがある。だから、それを認めて受け入れ、上手くいかない事があっても、人とは違っていても大丈夫なんだという言葉であります。
バカボンの作者である、赤塚不二夫さんの葬儀でタモリさんが読まれた弔辞は
「あなたはすべての人を快く受け入れました。そのために騙されたことも数々あります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』」という内容でした。
コロナ禍になり世界の状況が一変したように、世の中には自分が思うようにならない不都合なことが多々あります。それこそが仏教でいうところの「四苦八苦」であり、お釈迦様が説かれたようにその苦しみの一番の原因は「自分の思い通りにならないこと」なのです。何か自分に不都合なことが起こると、「あのときこうすればよかった」、「あの人が悪い」などと私たちは後悔したり他人を恨んだりします。そして、自然と自分を「重苦しい陰の世界」に閉じ込めてしまっているのだと思います。
「人の人生は心によって作られる」という言葉があるように、ネガティブなことを積み重ねていけば、それが積み重なってそのような人生になる。しかし、不都合なことが起きてもありのままを受け入れ、ポジティブな言葉を積み重ねていけば、必ず幸せな人生が待っているのです。
「これでいいのだ」という言葉には、この世界の理不尽も不自由も認めて、すべてありのままを受け入れる。上手くいかないことがあっても、大丈夫なんだと自分を信じてあげる。
もし、結果を変えることができないのなら、無理をして変えるのではなく、「これがいい」とこだわることをやめて「これでいいのだ」とありのままを受け入れることから始めて、この瞬間を楽しんで生きることが大事なのだと思います。
コメント